譲るということ

 こんにちは、野村です。

 

 東日本を襲ったあの震災から10年が経ちました。被災された方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

 

 震災による辛さは身を切られる思いのはずです。

 

 ただ体験をしていない自分は、その苦しみを本当には分かっていないのかもしれません。でもその痛みを分かろうとすることはできると思っています。

 

 地震が起きたとき、すぐさま現地へ物資を運んだり炊き出しなどの行動を起こした方々がおられました。

 

 この善意に対して、偽善だ、売名行為だと悪意を言う方がいました。その非難に対して、「じゃあ、偽善でも何でもいいからやってみろよ!」と言ったある俳優の方の反論は痛快でした。

 

 私もこれら一連のことを、自費を投じて温かい行為をしている人を何もしない人が非難している、と不思議に感じました。まるで中島みゆきさんの、「ファイト!」のようだなとも思いました。

 

 そんな風に人はつい自分の物差し(スケール)や損得勘定で物事を判断しがちです。運転の場面でもそれはよく見かけます。

 

 合流してきた車に進路を譲らず接触しそうになっているドライバー、駐車車両を避けようとゆっくりと進路を変えようとする車に、自分の前に入れさせたくないと車間距離を詰めるドライバーなど。

 

 確かに自分の優先権を譲るのはなかなか難しいことです。でもそれに固執すると事故につながります。「譲るのは嫌だ。」、「損だ得だ」と固執せず、進路を譲ることで安全を確保できます。

 

 物資を運んだ方々の行動を見習い、”お互い様”と考える、そんな努力をしたいです。

 

                                           (野村幸一)

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