
こんにちは、野村です。
もうすぐお盆。ワタシは、この前の日曜日に墓参りをすませてきました。
少しフライングですが、なにせ混雑が苦手ですので。
さて、お釈迦様は衆生を導くために、たとえ話をよく使ったそうです。それは何故だと思われます?
人は自分で手に入れたことは、物質であれ知識や考え方など手に触れることのできないものであれ、過大に評価する傾向があります。また、一旦手に入れると手放したくなくなります。
たとえ話により気づくとは、教えられたのではなく、自分で手に入れたことになるのです。
教えられるより自分で気づくことが嬉しいのです。(天邪鬼ですね。本当は師匠の言うとおりに従う菩薩道が一番悟りに早く到着するのに、厄介なことです。)
お釈迦様はこの理屈を使い、衆生が気づくよう、自分自身で分かったと感じるよう仕向けたのだ、とワタシは思います。(本当は、お釈迦様から大半のことを伝えてもらっているのですが。)
たとえ話は、運転研修でも使うことがあります。
車間距離を詰めて走るクセがある方へ、「ワタシは学生の頃に追突事故を起こしたことがあるんです。どうやら車間距離がいつも近かったようです。」などの失敗談。
「この間の研修で、自分の車間距離を棚に上げて、周りのクルマのことばかり言う人がいたんです。」と独りよがりな人の例など。
安全管理をされる方は、たとえ話を使ってご指導をされてみてはいかがでしょうか。いがいに面白いかもしれません。
(野村幸一)