緊急事態宣言の延長 そして五輪

 こんにちは、野村です。

 

 緊急事態宣言が延長され、やむを得ないと分かっていながらも、暗澹とした心持ちになります。

 

 そんな気分で家にいると考えが深まるようで、五輪開催について思うところがありました。

 

 たとえば、「やるのだろうか?」から「できるのかな?」と自分の中で言葉が変わってきたことです。

 

 本来なら、「やった方がいい」あるいは、「やらないほうがいい」と言い考えるべきなのに、他人事あるいは人任せになっているなと気づきました。

 

 五輪を中止しないことについてマルクス・ガブリエルは「日本人の高いプライドのせい」と言います。

 

 しかしワタシはそれは違うと思います。それよりもBBCの言う、「日本は中止の外圧を待っている。」があっていると考えます。

 

 我々は(ワタシもそうです)、自分として責任を負い、覚悟を決め、考えて態度・意見を表明するというのが苦手なのかもしれません。(安全な場所にいて無責任なことを言いがちに見えます。)

 

 一方、行動する人を嫌いがちに思えます。「五輪はやめよう!」と声をあげる人には眉を顰め、「あんなことを言って。」と非難をしそうです。(なのにアスリートに開催の意見を尋ねるのは酷ですよね。)

 

 ワクチン認可が遅れたことも指摘されています。海外の治験に加え、国内で170人程の治験をさらにしたことが理由だそうです。でももし自分が担当者ならどうしただろうと考えると違う判断をしたとは言えません。

  

 コロナ禍や五輪への対応は、我々の文化、歴史、気質、経験などの影響の結果です。つくづく人の行動は環境、それは物理的だけでなく時間(過去の経験)や他者との関係に左右されていると思いました。

 

                                           (野村幸一)

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