好きということ その2

 こんにちは、野村です。前回の続きです

 

 「好き」とは、対象への積極的な関りを持つことです。それは効率的に人生を享受することかもしれません。

 

 しかし、「好き」を強く持つことが良い、持たねばならないとするのは違うと思います。

 

 なぜなら、「好き」とは単なる個人的な志向性です。正しい・間違い、良い・悪いとは無関係なはずです。

 

 「好き」を、例えば趣味として考えてみます。

 

 趣味について社会学者のブルデューは、「趣味という闘争」という表現を使っています。趣味とは自分以外を下げて自分が優位に立とうとするものだと。

 

 それは野球が大好きな人はサッカーのことを、「あれは・・・だ。」と嫌うように、「好き」は「嫌い」と裏腹なものです。

 

 つまり「好き」を強く持つ人は、一方「嫌い」を強く持つこととなります。それは狭量につながる恐れもあります。ですから「好き」を持つ、持たないことに良い・悪いはなく、どちらでも構わないと思います。

 

 さて今年も新入社員の方への運転研修がスタートしました。あまり運転は「好き」ではない人も多いと思います。

 

 でもできればあまり「嫌い」にはならず受講していただければと思っています。「運転は嫌いになってもトレーニングは嫌いにならないでください。」です。

 

 そんな訳の分からないことを、ハトのから揚げつつきを見ながら考えていました。

                                           (野村幸一)

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