「交通安全週間」と「新聞週間」

 こんにちは、野村です。

 

 「春の全国交通安全運動週間」とほぼ同じ時期に「春の新聞週間」がありました。

 

 新聞週間に関して、こんな記事が掲載されていました。

 

 私たちは自分が心地よく感じる情報ばかりを求め、依存症のようになってしまう傾向がある。自分の神経を逆なでするような記事まで多角的に読むことも重要じゃないか。

 

 新聞を読む理由の一つは、日常に経験できないことを、新聞を通じで追体験し、他者に共感や同情を寄せるためだろう。と。

 

 私も同意見です。心地よさを求めがちな我々がさらにネットニュースのみをクリックし(見たいことのみを見て)情報を集めていると傲慢さが増す気がします。

 

 そして、もとより視野の狭い人は、(心地よい)情報を集めることで、さらに視野が狭く、偏りが強くなるのではないでしょうか。

 

 内外の政治家が、新聞を読まずに新聞を批判したり、ある企業が税金を払っていないと批判したりして、その事実誤認に呆れたりしますが、我々も似たようなことをしているのかもしれません。

 

 自分都合で物を捉えない考えない、多くの情報をできるだけ偏りなく集めてみる、想像力を働かせる。同時期にあったふたつの週間は、そんなことを考える機会だと思いました。

 

                                           (野村幸一)

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